3週間でTOEIC900点取る方法

僕は純ドメで留学経験無しの普通の日本人だが、仕事の関係で、海外のメンバーと英語で話さなきゃいけない時がある。

別に英語がペラペラ話せるなんてことは全く無い。

発音は格好悪いカタカナ英語で、文法もめちゃくちゃなんだが、親切なメンバーが頑張って僕の言うことを理解しようとしてくれるし、逆に彼らが話すときは、簡単な言い回しでゆっくり伝えてくれるので、なんとかなっているだけだ。

 

普通の日本人は格好悪い発音を恥ずかしがって英語を話したがらない(個人的にはいい年した大人がモゾモゾ恥ずかしがって、いつまでも自分を改善しないでいる方が恥ずかしいと思うんだが…)。

だから、僕の発音が酷すぎるとはいえ、少し英語が話せるだけで、他の大多数の日本人と差別化できる。

そして、英語は世界共通のインターフェースのようなもので、英語が話せれば、英語圏以外のあらゆる国の人とも話せるので、めちゃくちゃ便利だな〜とそのメリットをひしひしと感じている。

 

さて、話は少し変わるが、僕は勉強が嫌いだ。

学校での勉強は、どちらかというと得意だったし、受験期は一生懸命やっていた。

では、なぜ勉強が嫌いなのかというと、大人に騙されたという被害者意識があるからだ。

社会人になった今だから分かるが、学校の勉強なんて、ほとんど社会では役に立たないものだった。

僕達が必死になって取り組んだ、「テスト」という儀式は、「誰か」が「偉い人」に「作れ」と言われて作った、「パズル」のようなもので、アレができたからといって人間的に優れてるわけじゃないし、もちろん仕事が出来るわけじゃない。

学生時代にテストが出来ないやつは努力が出来ないやつ、みたいに、めちゃくちゃ上から目線で指導してきた先生達は、社会のことなんて何も分かってなかったか、実は自分たちも「偉い人」に言われて必死に進学率をあげようとしていただけだったのだ。

 

誰も「どういう教育が本当に子供のためになるのか」という本質を考えて教育をしてるわけじゃないって気づいてからは、あんまり座学に身が入らなくなった。

そんなわけで、新卒の就活のときも、転職のときも、僕はTOEICを受ける気が出なかった。

「本当の英語力なんて、テストで測れるもんじゃない。TOEICなんて英語が話せるかどうかとは関係ない。だって俺はセンター試験で英語9割とったけど、全然英語喋れないじゃないか。」とか思っていた。

 

そんな感じで嫌なことから逃げる言い訳をしていたわけだが、ある日、TOEICで600点取らないと昇進出来ないことを知った。

そして日程を調べてびっくりしたのが、3週間後の試験に今すぐ申し込んで600点とらないと、今年の評価にTOEICの結果が考慮されないらしい!

今までTOEICの勉強は一秒もしたことがない。でも昇進はしたい(お給料もほしい)。

ということで、僕は数年ぶりに英語の勉強をすることになった。

 

600点がどんな難易度なのかよくわからない。てか満点が何点なのかも知らない。

とにかく時間もない。やるしかない。

 

時間がない中で点数を上げるにはどうしたらいいのか?

これは受験勉強から学んだ反省なのだが、参考書を読んでもテストの点数は上がらない

教科書を読んで理解した気になっても、実際のテストではペンが動かない経験を何度もしたことがある。

そこで僕は「点数を上げるための勉強は模擬テストである」という仮説を立てた。

練習は本番のように、本番は練習のように」という名言がある。

本番の形式に近い模擬テストを、本番と同じ時間をとって、その時間内に解くということを毎日やる

TOEICに出る単語集を暗記したり、リスニングとライティングに分けて勉強したり、Partごとに分けて対策したりはしない。

出来るだけ本番に近い状態を作り出し、それを毎日「経験」する。

繰り返す問題は同じ問題でも良い。

 

なぜこのような仮説を立てたかというと、人の記憶に関する本を読んだことがあるからだ。

人には忘却曲線というものがあり、モノは覚えるのではなく忘れるのだ。

生活の中で登場する回数が多いモノほど忘れるまでの時間が長くなる。

だから、同じ問題で良いから何回も解くことで、その問題は自分の生活にとって必要不可欠なモノと脳が認識して、記憶に定着するし、その問題形式に脳が慣れる…らしい。

あくま仮説だが、検証する時間がない。

時間がないのだから正々堂々勉強するのではなく脳をハックする方向で作戦を立てるしかない。

 

そして、とりあえず本屋に行った。

本屋にはTOEIC対策の本が沢山ある。

TOEICに出る単語とか知らないし、リスニングも自信ない。

いろんな本に目移りしてしまうが、どうせ全部やる時間もないので、当初の予定通り3回分の模試が入ってる本を一冊だけ買った。

 

僕が実施した勉強は以下の通り。

1週間を1スプリントとして、1スプリント内で3回分の模試を実施する。

それを3週間繰り返す。

具体的にはこんな感じである。

1日目…第1回模試を解く

2日目…第1回模試の採点・復習をする

3日目…第2回模試を解く

4日目…第2回模試の採点・復習をする

5日目…第3回模試を解く

6日目…第3回模試の採点・復習をする

7日目…お休み

これを1スプリントとして3週間同じことを繰り返す。

 

1週目は、リスニングで何言っているのか聞き取れんし、単語も分からないから長文問題に何が書いてあるか分からんし、TOEICの問題形式にも慣れなくて要領よく解けないし、時間も足りなくて、散々な結果だった。

2週目からはかなり改善されて、3週目はどの模試もほぼ満点が取れるようになった。

毎日同じ問題をやっているんだから当たり前である。

 

いざ、テスト本番の日。

テストが始まっても、不思議と緊張はしなかった。

毎日何度もやってたので、パターンはわかってる。時間配分も分かってる。

 

あっという間にテストが終わった。

電子採点だったのですぐに結果が出た。

結果は…915点!!!

 

え?

流石にちょっとビックリした。

みんな、「俺800点いったぜ」とか、「600点行かなかった…orz」とか、「700点めざしてる!」とか言ってなかったっけ?

900点台って難しいんじゃないの?

俺、3週間しかやってないんだけど…

600点が昇進の基準って低すぎないか…?

むしろこんな簡単なものがどうやったら700点台になるのかわからない…

もしかしてTOEICには何種類かあって、自分は間違えて違うテスト受けたのか…?

 

結局、僕の点数は無事、正式に社内のシステムに登録されることとなった。

 

今回の経験から学んだことはいくつかある。

まず、僕の勉強法は正しかったということだ。

つまり、テストの点数を上げるためには、授業を聞いたり、教科書を読んだりするのはほぼ意味がなく、ひたすら本番に近い問題を、できるだけ本番に近い条件で、何度も解くことが一番てっとり速いということ。

また、みんな「TOEIC大変、大変」とか言っているが、本当は、本一冊やり切るということすらやってなかっただけなんじゃないか、ということ。

そして、TOEIC900点は別にすごいことではないということ。

TOEIC900点取った人が、仕事で英語を使えるかと問われると、やっぱり全然そんなことはないと思う。

 

厳しい条件の下で、科学的理論をもとに仮説を立てて検証し、それがうまくいった、という経験が積めたのは良いことだった。

「君がやっている勉強法…とりあえずがむしゃらに取り組んで良い結果が出ることを願うというのは…そういうのは頑張っているとは言わないんだよ。」と、受験期の自分に言いたい。

 

岡崎久彦「戦略的思考とは何か」

ビジネスで使えるような一般的な意味での戦略的思考を学びたくて買ったのだが、軍事的な戦略の話だった。

本来読みたかったカテゴリーとは違っていたものの、著者の教養と知識の深さが魅力的過ぎて、一気に読んでしまった。

 

本著の、日本は防衛戦略を考える上で、客観的な国際状況をもとにあるべき姿を検討すべきところ、古来より異民族に侵略されたことが少ないため、国防に関する危機感が乏しく、リアリティに欠ける議論しかできないという指摘は、本当にそのとおりだと思う。

 

また、アングロ・サクソンプロイセンの比較が非常に示唆に富む話だった。

戦略重視のアングロ・サクソン国家は、情報収集をして勝てるかどうか見極めてから戦うのに対し、任務遂行型のプロイセンは与えられたリソースで与えられた任務を如何にこなすかが重視される。

日本はどちらかと言えばプロイセン型で、戦略と情報の軽視が弱みである。

ただ、アングロ・サクソンと組んでいる時は、例えば日英同盟の時代などは、アングロ・サクソンが質の良い情報を与えて日本の弱みを上手く埋めてくれてるので、いつも上手く行くらしい。

日露戦争でも、イギリスが常にバルチック艦隊の動向を日本に連携してくれたから、対馬海峡を通るという推測が立ち、待ち伏せが成功して、日本海海戦で勝てたのである。

 

プロイセンアングロ・サクソンの違いは組織体制にも現れている。

プロイセンは作戦優位で、作戦>情報>兵站の順番に将校の位が下がっていく。

まず優秀な作戦参謀が作戦を立て、それに合わせて情報収集や兵站が考えられるのである。

一方で、アングロ・サクソンの場合は情報収集優位で、情報>兵站>作戦順番に将校の位が下がる。

作戦参謀がいくら素晴らしい作戦を立案しても、兵站と情報の観点で無理のある作戦なら、上司のレビューで弾かれる訳だ。

ジェームズボンドなど、スパイがスターとして扱われる映画が人気なのも、イギリスでは諜報員の位が高く、尊敬されてるからだろう。

このような情報優位の組織では、ナポレオンやヒトラーなど、奇抜な作戦を用いて短期間で領土を拡大する「天才」は現れないが、戦い方はいつも無難で無理のない、勝てる作戦しか承認されないので、長期戦では「負けない」のである。

 

 

さて、これは、自分の経験からくる推測だが、作戦を立ててから情報を集めたり兵站を考えたりするのは、自分達に都合よく情報の辻褄合わせをするだけになってしまうような気がする。

怖い上司が「やれ!」と命じた作戦について「よく調べたら実現不可能でしたw」なんて報告は出世に響くので普通は出来ない。

そして意味不明な作戦に意味不明なまま突撃して、大損害を出し、「なんで上手く行かないんだ!」と怒られるわけである。

 

この話をビジネスに置き換えて考えてみる。

たとえば、最先端のテクノロジー()とグローバルな知見()を活用した素敵な提案書を作ったとする。

社内レビューでは、誤字脱字や図の見やすさなど枝葉末節だけがチェックされて、そもそものクライアントが抱えている課題やクライアントの本当のニーズは何なのか、社内に適切なメンバーがいるのか、その最先端のテクノロジー()は日本でちゃんと使えるのか、のような「情報」の観点からのレビューがなかったとしたら…どんなに格好いい提案でも実現不可能なのである。

実現不可能な提案書を作るために使った時間と労力は無駄になってしまうし、仮に間違ってその提案が通ってしまったら、もっと恐ろしいことになる。

適性のないメンバーが、クライアントの課題解決にならない何の意味のないタスクを、延々とやり続けることになるのだ…

これは全員にとって不幸なことである。

 

日本人には戦略的思考が欠けているというのはよく言われていることだが、戦略が無ければ勝てるはずがない。

そして、質の良い情報が無ければ良い戦略なんて立てられるはずがないのだ。

 

勝ちにこだわるには、ゲーム自体を頑張ることよりも、勝てるゲームを、ゲームを始めるに「前に」選ぶことが重要である。

そして勝てるゲームを選ぶには、情報収集と分析=諜報(インテリジェンス)が必要である。

これが、「戦略的思考とは何か」という問いの答えだと思う。